日根野高吉が築城の適地とした高島は、当時諏訪湖畔に島状を呈していたと思われる場所で「浮島」とも呼ばれ、ここには主に漁業を営む村落があったことが記録に残っています。高吉はこの村をまるごと移転させて高島城を築いたといわれています。完成当時は、城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったので、別名「諏訪の浮城」と呼ばれました。
城の北側には城下町(兼甲州道中上諏訪宿)が設けられ、城下町から城までは一本の道しかありませんでした。城は、北から衣之渡郭、三之丸、二之丸、本丸が一直線に並ぶ「連郭式」と呼ばれる形態です。
本丸には三層三階の望楼型天守が建てられましたが、天守をはじめ主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺きだったことも、高島城の大きな特徴です。湖畔の軟弱地盤で重い瓦が使えなかったからとか、寒冷地である諏訪では瓦は凍み割れてしまうからとか言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。
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